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青野の鑑賞記録 ~溢れる思いを、心ゆくまま~

『おんな城主直虎』36話~全体構造からみた36 話の位置づけと直虎、政次の人物造形~

連続ドラマのリアルタイム各話感想を書くことの限界

 36話を視聴して、あらためて連続ドラマを各話ごとにリアルタイムで批評することの難しさについて考えてしまいました。文学や映画の批評は作品を最初から最後までまるごと読んだり見たりして、時には何度も読み返して、全体から部分を考察することができます。何にせよ作品の批評とは本来そういうものだろうと思います。

    しかし連続ドラマのリアルタイム各話批評をすること、しかも先の展開が分からずに途中経過で何かを考えることは、「全体」というフレームワークなしに何らかの構造的な解釈を加えていかないといけない。喩えて言えば、文学や映画の批評者が完成されたパズルの全体を見ながら様々な構成要素についてあれこれ考えることができるのに対し、連続ドラマのリアタイ視聴者は、パズルのピースを手にしながら完成図を予想し、時には盛大に的をはずしつつ、完成図をすでに知っている制作者に対して圧倒的に不利な戦いを挑んでいるようなものです。要するに視聴者と制作者にはものすごく大きなインフォメーション・ギャップがあって、それはもう部分だけを見てウロウロ迷う子羊と、それを空から笑ってみている神様くらいの違いだと思うのです。

    こういうタイプの批評が存在するジャンルは他にあるでしょうか。新聞や週刊誌などの連載小説を、日毎、週ごとに各話で感想を書く人はあまりいないと思います。他にあるとすれば、実写やアニメの連続シリーズか、コミックの連載などでしょうか。このようなジャンルの感想が陥りがちなのは、全体像の欠如から来る、部分へのアンバランスな注目です。具体的に言うと、個々のストーリーラインの断片を個別に見て、それぞれに対してしばしば感情的な反応をすることです。これはまさに木を見て森を見ずの状態で、それによって本当に見るべき部分を見失ってしまうことが多々あるように思います。

    たとえ連続ドラマであっても、それでも何かまとまりのあることを言おうと思えば、少なくとも数話の単位で物語のアーチごとに全体を見る必要があります。『直虎』でいえば、例えば30話~33話、龍雲丸が活躍した21~23話などがそれにあたるでしょう。

    しかし36回のようないわば中継ぎの回に対して単独で何か言えるとしたら、直虎が(一時的に)井伊再興を諦めること、あるいは龍雲丸と結婚する(ように見える)ことになどといった彼女のアクションの途中経過について、価値判断や希望的観測を述べるしかありません。それはリビューワーに問題があるのではなく、そのような感想しか抱きようがないというリアタイ・ドラマ・リビューワーの立場が構造的にもつ限界の問題なのです。

    今回このような前置きをするのは、36話の個々のストーリーラインについて私がオリジナルに言える、あるいは言いたいと思うようなことはほとんどなかったからです。すべてがあまりに途中経過すぎて判断に困るようなことが多かったですし、うっかり書くと感情的に龍を叩きそうになったり、直虎を叱咤激励したくなったりしてしまいそうで、それは本意ではありませんでした。

    そこで、今回のエントリでは少し目先を変えて、あえて36話を単体として論じるのではなく、まだ未完の物語ではありますが、『直虎』の全体の構成について予測し、リアタイドラマ視聴者が宿命的に奪われている「『全体』というフレームワーク」を勝手に得たつもりになって、そこから見た36話の位置づけについて考えてみたいと思います。そして個別に直虎、政次、最後に少し南渓谷、龍雲丸についてもそれに位置づけて整理してみたいと思います。

  

『直虎』全体構造を勝手に予想~「三幕構成」~

     今回私が全体構成の予測のために使用する補助線は、「三幕構成」という概念です。

    いつだったか、「大河ドラマではよく33回あたりに一度クライマックスが来る」というような趣旨のtweetを見かけたことがあります。これは的を射た観察だと思います。それはおそらく、『直虎』を含めた多くのドラマや映画がいわゆる「三幕構成」を採用していることと関係しています。

    「三幕構成」はエンターテイメントの王道の構成だと言われ、次のようなパーツに分かれています。

 

第一幕 ビギニング(場面設定、主人公のキャラ設定)

第二幕 ミドル(葛藤)

第三幕 エンド(解決)

 

    この3つの長さの黄金比は1:2:1だと言われています。第二幕は尺として一番長く、しばしば前半と後半に分かれます。そしてここが物語の「本論」のような部分です。第二幕の前半と後半の中間地点に置かれるのがミッドポイントです。この構成を『直虎』にあてはめ、分解してみましょう。

 

第一幕 城主誕生編(1~12話)

第二幕前半 城主成長編(13~27話) 前半(13~18話)政次との対立編

                    小ミッドポイント 18話 政虎和解

                    後半(19~27話)材木編

ミッドポイント 27話「気賀を我が手に」→戦わず、潤すことで城主に

第二幕後半 城主試練編(28~37話) 前半(28~33話)政次受難編

                    小ミッドポイント 33話 政次の死

                    後半(34~37話)最大の危機

第三幕 城主成熟編(38~50話)

 

第一幕

    各パートについてさらに詳しく見ていきます。通常、第一幕では最初の方にキャラクター設定が行われ、次に「主人公の欲求」という視聴者が主人公に感情移入して見るための核となるアイデアが示されます(弱小チームを強くしたい、歌手として成功したい、など)。そして第一幕の最後の方で「第一の事件」が起こります。この事件がきっかけとなって物語が本格的に展開していくのです。

    これを『直虎』に当てはめてみると、「キャラクター設定」では、子ども時代に、おとわは無鉄砲な性格であること、何でもとりあえずやってみること、天真爛漫で人を惹きつける存在であること、人のために無条件で何かをしてあげたいと思っていること、学問の素養があること、後先考えない思慮の浅さがあることなどが描かれます。

    「主人公の欲求」については、幼いころに直盛に言われて領主に興味を持ったかに見えますが、その他にも人に言われて亀との結婚に乗り気になったり、竜宮小僧になろうと思ったりと、様々に移り変わっていきます。おとわが自分で選んだのは出家することと、亀の代わりに城主になることですが、これらも何かの反動であったり、リアクションであったりして、それぞれの職業に魅力を感じてそれを志したようには見えませんでした。後述しますが、私はこの「主人公の欲求」設定が、このドラマではこれまでのところそれほどうまくいっているようには思えません。そしてこれが私が直虎というキャラクターに感じる違和感に深く関わっています。

    「第一の事件」は言うまでもなく直親の死と、それに伴う井伊家断絶の危機です。この危機を救うために直虎が立ち上がり、城主直虎が誕生して、ストーリーが本格的に動き出すのです。

 

第二幕前半

    第二幕は、物語全体の核になるパートです。ここで描かれる事柄が、「主人公の欲求」とリンクした物語のメイン・イベントです。まず第二幕前半では第一幕の最後に発生した事件によって悪化した状況を主人公が立て直そうと奮闘する過程が描かれます。そして必然的にここには対立の軸が置かれます。すなわち主人公が成長する過程で衝突し、その衝突を通じて主人公がさらに強くなっていくような敵の存在が必要なのです。

    『直虎』においてはその役割を政次が担いました。『直虎』の興味深いところは、その敵が幼馴染で、しかも本当の敵ではない、むしろ味方だということです。そういうひねりを加えつつ、しかし表面上は「三幕構成」の王道に従って、二人の対立によって直虎が成長する過程が描かれます。それが13~18話にあたります。

 『直虎』は50話からなる長い大河ドラマです。私は作者はこの長い第二幕を、さらに四分割したのではないかと考えます。すなわち第二幕前半をさらに前半と後半に、そして第二幕後半をさらに前半と後半に分けたのです。そして第二幕の前後半に大きなミッドポイントを置いたうえで、第二幕の前半の前後半にも小ミッドポイントを、そして第二幕の後半の前後半にも少ミッドポイントを置きました。そしてその二つの少ミッドポイントは、いずれも政次メインのエピソードでした。

 第二幕前半の小ミッドポイントは、政次が敵ではなかったと明かされ、二人が共闘関係に入ることとなった18話「あるいは裏切りという名の鶴」です。今となれば、ここで二人の関係性は「相棒」のようなものに決定したこと、それを示すための相棒もののフランス映画からの引用だったことがはっきりと分かります。

 18話で敵対する相手がいなくなってしまいましたから、第二幕前半の後半では、主人公が成功への階段を登る過程が描かれます。『直虎』では相棒であり師である政次から指南を受けつつ、共闘しながら井伊を盛り立てていく過程が描かれます。しかし成功の失敗は表裏一体、井伊をささやかな繁栄の絶頂に導いた材木は、井伊を悲劇に陥れる遠因ともなります。幸せに上り詰める過程に悲劇の底流が少しずつ勢いを増して脈々と流れているという二重構造は、この脚本の本当にうまいところです。

 材木は現在の文脈で例えると、石油のような天然資源です。これを手に入れることは富と直結します。直虎は龍雲党を引き入れることで材木の販路を切り開いて富を手にし、これを足がかりに気賀城を築きます。これが27話「気賀をわが手に」、私が考える『直虎』のミッドポイントです。

 

ミッドポイント

    通常ミッドポイントでは、それまでの展開の一つの到達点であり、同時にその後の事件の原因ともなるような事柄が描かれます。またその到達点は、第一幕で設定された「主人公の欲求」のとりあえずの実現として示されます。ここで重要なことは「とりあえず」という点です。ミッドポイントの達成はあくまでも一時的なものでなければなりません。そうでなければ話はそこで終わってしまいます。そしてそれは同時にこれから訪れるさらに大きな試練の前触れでもなければなりません。

    『直虎』においては、気賀城の築城は直虎の城主としての理想像(奪わず、潤す)の体現でした。しかし同時に「材木」は政次の死につながる遺恨の遠因となり、さらに気賀の悲劇の舞台ともなります。

 

第二幕後半

    ミッドポイントは、「良いことが」起きるパターンと「悪いこと」が起きるパターンがあります。良いことが起きた場合は、第二幕後半では悪いことが起きる過程が描かれます。そして第二幕後半の最後に「最悪のこと」が起きるのです。『直虎』ではミッドポイントに「良いこと」が描かれましたので、そこから第二幕の終わりに至る過程は、基本的に破局に向かって事態がどんどん悪くなる苦しい過程が描かれます。

    まず第二幕の後半の前半では遠州騒乱にともなう井伊の試練が、主として政次の試練という形で描かれました。そのクライマックス、すなわち小ミッドポイントが33話です。ここで城主直虎は片腕ともいうべき相棒を失ってしまいます。二人三脚、両輪で運営していた組織の片方の車輪がはずれれば、運営がうまくいかなくなるのは必定、井伊はバランスを崩し、直虎も精神的ダメージを深く受けてなかなか立ち上がることができません。その直虎に追い打ちをかけるように第二幕の後半の後半ではさらなる悲劇が連発され、まず気賀が殲滅、最後にこの物語の最大の危機である武田の襲来が起きるのです。

    この第二幕の最終盤で起きる最大の事件が「三幕構成」における「第二の事件」です。これは通常主人公にとって最大の困難であり、絶体絶命のピンチです。これを乗り越える過程こそが主人公の成長の山場となります。この部分を描くのが第三幕のメインテーマとなることでしょう。

    以上が私が考える『直虎』の全体構成です。次項ではそれを踏まえた個々のキャラクターの設定や描写について見ていきましょう。

 

直虎~リアクションではなく、アクションを~

    まずは直虎です。

    前述したように、私は、本来第一幕で行われるべきであった直虎のキャラクター設定の核、すなわち「主人公の欲求」の設定が、思いの外うまくいっていないように感じています。

    直虎は一体何がしたい人なのでしょう。幼少期にまず直盛によって「領主」という空想ルートが示されました。しかし女子であるという現実の前にこのルートが開くことはありませんでした。次に「亀の嫁になる」というルートが開かれました。最初は乗り気ではなかったのですが、母に説得されてすぐにその気になります。しかしこれもうまくいかず、鶴の嫁にさせられそうになり、逃れるために出家をします。しかし熟慮の末の行動ではなかったのですぐにまた後悔し、逆に鶴から「竜宮小僧になること」というルートを示されて、その気になります。色々あって直親が死に、今度は和尚様から改めて「領主」ルートが示されました。これを直虎は「直親の移し身になる」という理由から「選択」する(と自称する)のですが、これも「直親のために頑張りたい」という感情主導の行動であり、領主になることの何たるか、自分の適性、領主をしたいかどうかなどに考えを致した行動ではありませんでした。

    このように見ていくと、直虎はこれまで常に自分の役割を周囲の人の言葉や起きた事件に影響されて決めてきたことが分かります。すなわち直虎はリアクションの人なのです。付記すると、「欲求」以外の面でも直虎は分かりにくい人物です。彼女は基本的にすべての思考過程を何かの出来事のリアクションとして開始するので、何も出来事がない時に何を考えているのかがよく分かりません。従って、彼女が自発的に何か賢げなことを言っているシーンがたまに挟まれると違和感があるのです。

    いくらその他の選択肢が限られていたとはいえ、城主については「自分で選んだ」仕事でありながら、適性で選んだ仕事ではないため、直虎は城主としての自分に自信がありません。それは27話で気賀城築城という業績を成し遂げても、32話で政次に認められても、変わることはありませんでした。32話では「領主を降りてもよい」と語っていますし、36話で井伊をたたむことを決意したのも、気力とともに能力の欠如を痛感していたからでしょう。それは一時的な意欲の減退だったのかもしれません。しかし直虎自身の中に「自分は成り行きで城主の座についてしまった中継ぎであり、知力も経験適性も不足している」という意識があるので、城主という座を石にかじりついてでも守りたいという強固な欲求を持つことがなかったのでしょう。政次を失い、井伊谷城を失い、お家取り潰しにあうというこれ以上ない不運の連続も彼女の自信を奪います。

    しかし我々が見ているのは『おんな城主直虎』というドラマです。最初の出発点がどうであれ、直虎は「主人公の欲求」という物語のエンジンを持つ必要があります。そしてそれは「よりよい城主になりたい」というものであるべきなのです。

    私は直虎は自信はなくとも、それと示さなくとも、心の底では「よりよい城主になりたい」という気持ちをずっと持ってきたのだと思います。自分の業績に少しは手応えも感じていたでしょうし、領民を幸せにするという仕事にやりがいももっていたはずです。

    遅ればせながらですが、今後直虎には「よい城主でありたい」という強い「欲求」を強く前面に押し出すような展開が望まれます。その「欲求」こそが物語を動かす動力ですし、そこにこそ視聴者が感情移入するのです。そしてリアクションではなく、アクションをおこす城主に成長してもらいたいと思います。

    最後に少し希望的な観測を述べておきます。「三幕構成」の話に戻ると、36話は第二幕後半の終盤に位置します。第二幕後半の最初のエピソード28話サブタイトルは「死の帳面」でした。ここに書かれた「井伊直虎」の上の朱の✕印は記憶に新しいところです。デスノートに名前が書かれた人は死ななければなりません。政次も死にました。当然直虎も死ぬ運命なのです。

    36話は寿桂尼の呪いがついに成就した回でした。「直虎」はその翼を折られ、生身の肉体ではなく城主としての精神が殺されてしまいます。直虎が龍雲丸と夫婦約束をして「とわ」と名乗った瞬間は、「直虎」が死んだ瞬間でもあったのです。

    しかし政次=直虎ですから、政次が死んで復活したように、直虎も復活するはずです。この物語は『おんな城主直虎』なのですから、「よい城主であること」が直虎の「主人公の欲求」であるはずです。その核を失っては、もはや物語とは言えません。ですから「直虎」は城主として必ず復活します。そしてその時はきっと「よい城主になりたい」という熱く強い思いを胸にだいて、政次のスピリットと共に一人ですっくと立ち上がるのでしょう。

 

政次~設定の盛りすぎ✕予想を超えた怪演=混乱~

    次に政次です。

    今回全体像を整理してみて、私は政次というキャラクターの重要性を再認識しました。なぜなら政次中心のエピソードが、第二幕というこの物語の「本論」の展開の要所に戦略的に配置されているからです。それらを具体的には第二幕前半の小ミッドポイント(18話)と、第二幕後半の小ミッドポイント(33話)です。

    政次は13~18話では直虎の成長に必要不可欠な敵対勢力の役割を演じ、19話以降では城主としての直虎の相棒・片腕になりました。25話以降は聖霊パワーで離れていても意思疎通ができるほどのシンクロしていた二人、お互いの内部の中にお互いが生きているような感覚だったのかもしれません。そしてそれら全ての関係性の底流には、幼馴染だったおとわと鶴の絆がありました。これは本当に名前のつけられない特別な関係です。

    ドラマでは高橋一生さんの好演もあって、政次に感情移入する視聴者が予想を超えて急増しました。感情移入するキャラクターに、主人公と結ばれて欲しいと思うのは視聴者として当然の願いです。しかしそれが叶えられなかったので、各方面からフラストレーションの声があげられました。

    私はその現象は2つの点、すなわち一つは直虎の人物造形との関連で、もう一つは政次の人物造形との関連で面白いと思いました。

    視聴者が政次にこれほど感情移入したのは、逆に真の主役である直虎に視聴者が感情移入しにくかったということの裏返しです。前述したように直虎は「主人公の欲求」という核を持たないリアクションのキャラクターです。天真爛漫で優しさはあるのかもしれませんが、短慮で、感情的で、何を考えているのか分からない人物でもあります。このような得体の知れない人物が、視聴者がひいきにする政次を袖にし、ぽっと出の素性も知れない男を選び、政次の死の遠因になったその男と結婚するなど、多くの視聴者には納得のいかない展開でしょう。私は主人公の結婚がこれほどまでに冷ややかに受け止められた例を他に知りません。

    もう一つは、作者が政次という人物の造形についてコントロールしきれなかったという点です。政次は設定が複雑な人物です。原作の段階で色々な要素が盛り込まれすぎて、もはや各シーンでその設定のどれがその時の彼の行動の中心動機なのかが分かりにくくなっていました。そして最後のなつへのプロポーズでさらに混乱度が増しました。加えて予想を超えた高橋一生さんの好演、そしておそらくそれに伴う死刑シーンの変更によって、メッセージはさらに混乱したものとなりました。それでも高橋一生さんの演技から、政次の根底には直虎への愛があるということが伝わり、それが彼の「欲求の核」として一貫性があったので、直虎よりは感情移入しやすかったと思います。

    しかし最後まで問題として残ったのは直虎との関係でした。私は作者は政次と直虎の関係をもう少し分かりやすく整理して提示すべきだったと思います。本音を言えば、ここまで設定を盛ったのだから、政次は最後まで直虎を女性としても密かに愛していた、というシンプルな設定のままでよかったと思います。恋愛のストーリーラインを立てるために役割を作為的に龍に振ったから、このような混乱が起きたのです。そうではなく、恋愛のラインをあえてことさら立てずに、直虎は政次を、彼が望むような形と強さで愛し返すことはできなかったけれど、彼の男性としての愛を理解して、受け止めた、というあっさりした形でまとめればよかったのです。

    作者はどういうわけか、幼馴染三人には現世で三人の輪の外に配偶者をあてがいたかったようですので、亀に史実上の配偶者がいるなら、直虎にはオリキャラを、そしておそらく最後に政次になつ、という組み合わせが浮かび上がってきたのではないかと思います。しかしこれは必ずしも必要ではなかったように思います。なぜならこの物語は『おんな城主直虎』です。ある城主が、相棒・片腕、そして自分を愛してくれた同士を失い、一人になって少しの間休息し、そこからまた英気を養って一人で立ち上がる、このシンプルな構成のどこに問題があるのでしょう。

    たらればを言ってもせんないことですが、私は、直虎が周囲の人に支えられながらも究極的には一人で政次の死に向き合い、弔い切ってから次へ向かう展開のほうが、主人公の強さと覚悟が感じられ、視聴者からは静かな共感を得られたのではないかと思います。

 

南渓~井伊谷キングメーカー

    今回の南渓の「キングメーカー」ぶり、なかなかしたたかでした。ただし私は南渓は最初から直虎を見限って虎松に首をすげ替えようとまで計算していたとは思いません。最初に碁石を取り上げたのは、純粋に「重荷を取り除きたい」という伯父として、僧としての慈愛の気持ちからだったと思います。しかし虎松の思わぬ抵抗を見て、考えが変わったのでしょう。そこから先は、「キングメーカー」の本領発揮、虎松に色々言い含めたに違いありません。虎松の不敵な笑顔が全てを物語っていました。

    私は直虎の自立のためには、彼女が南渓を「キングメーカー」の地位から追い落とす必要があると思います。直虎は誰かの思惑に動かされて自分の行動を決める段階をそろそろ脱するべきです。そして彼女こそが次の井伊の「キングメーカー」になるべきなのです。

 

龍雲丸~究極の架空キャラ~

    最後に龍雲丸について少々。今回、物語の全体構造を整理をしながら、龍雲丸は本当に「材木」の物語のアーチのキーパーソンで、井伊の繁栄と悲劇の両方の引き金になる人だと分かりました。そして改めてそのマルチプレーヤーぶりには驚きました。盗賊であり、商人であり、木こりであり、人材派遣会社社長であり、建築士であり、海賊であり、忍びでもあります。このように考えていくと、彼は本来ならば別々の人に当てはめてもよいような役割を集約させた、別の意味での設定盛り合わせのキャラクターだといえます。それはもはや現実味の薄い究極の架空キャラ、すなわち文字通りの「オリジナル・キャラクター」なのです。龍雲丸は多面性と矛盾を抱えつつも何らかの一貫性を持とうとするアイデンティティのある人物というより、むしろ直虎に本来ならば別々の人が別々の段階で与えたかもしれない様々な影響を一人で与える使命を課された役割の集合体です。

    そのように考えると、直虎との結婚も、もしかしたら井伊取り潰しから武田襲来までの空白期間、直虎にあったかもしれない一市井の女性としての生活を象徴する役割の一つのようなものだとも考えられます。

    私が龍が究極的には不要なキャラだと考えるのはこのあたりに理由があります。すなわち恋愛面ではその設定自体必要なかったと思えますし、その他については役割別に別のキャラがいたとしても問題なかったからです。

    ただこのように考えると、あの井戸での事故もそんなに深刻に捉える必要もないように思えて、少しは気が晴れるような気もします。

 

おわりに

    今回も長くなりました。直虎には早く龍の話に区切りをつけて、本来の仕事である城主に戻って欲しいものです。そして、今度こそは、リアクションではなく、アクションを!