Aono's Quill Pen

青野の鑑賞記録 ~溢れる思いを、心ゆくまま~

『直虎』の魔法は高橋政次とともに

『直虎』のマジック・モーメント

 『直虎』の感想を32話以降書き始めて一つ気がついたことがあります。それは、私はこれまで『直虎』を2つのレベルで受け止めて楽しんできたのだなあ、ということです。あえて単純化すると、一つは感情のレベル、もう一つは理性のレベルです。

 最初は感情のレベルでドラマに引き込まれました。1話を見て「結構面白いな」と思いましたが、その後子役時代が4話もあると聞いて、正直少し敬遠したいような気持ちになりました。それでも何とか見続けて、6話で「おや」と改めて興味をひかれ、7話「検地回」で、「このドラマには何かがある」という確信を得ました。

 その後熱心に視聴するようになり、理性のレベルでもドラマの構成に関心を抱くようになりました。最初は丁寧な伏線の張り方に感心し、そのうち女性主人公の扱い方や、中世の社会経済の描き方にも注目しました。のちにはキリスト教のリファレンスや、ドラマの全体構造などについても考えるようになりました。

 そのどちらも、私にとっては楽しい作業です。後者のほうが大変そうだと思われるかもしれませんが、私は感覚的な言葉を紡いだり、登場人物の心理を慮ったりすることが特に得意なわけではありませんので、一つ一つコマを積み上げるような後者の作業の方が性に合っていると思うことすらあります。

 しかし物事にはバランスというものがあります。ドラマの感想などは特に、感情と理性の2つの要素が両方あるほうが望ましいのでしょう。しかし32話以降、回を追うごとに自分の感想の軸が理性のレベルに寄りつつあるなあと感じています。

 それはなぜかというと、おそらく私の感情のレベルに強く訴えかけるモメントがドラマの中に少なくなっているからだと思います。万千代が出てきてやや改善の兆しが見られましたが、34話~38話あたりは感情的な印象を書くのは非常に難しく、苦しい時期でした。

 思えば、私が感情レベルで最も強くドラマに反応していた時期は、おそらく7話から19話までの間です。その中でもベストの回は7話、15話、16話あたりです。なぜかというと、これらの回は私のセンス・オブ・ワンダー(素晴らしいものや超自然的なものを見て瞠目する感受性)を刺激する魔法の瞬間に溢れていたからです。普段長文ブログを書いていますが、このような魔法の瞬間を言語化するのは本当に難しいことです。あえて言えば、脚本、演出、演技、衣装、音楽など様々な要素が絶妙の配合で正の化学反応を起こし、魔法のような素晴らしい時空が生み出される瞬間ということです。その千載一遇の瞬間を目にすることは、視聴者にとってのこの上ない幸せです。

 そして私のセンス・オブ・ワンダーを刺激した要素のうち一番重要なものは、高橋一生さんによる小野但馬守政次の演技でした。

 私は高橋一生さんの演技力を賞賛してはいますが、自分は「イセクラ」とまでは言えないのではないかと思っています。それを最近強く感じたのは、『わろてんか』における高橋さんの演技を見たときです。彼はまだ数回しか出演していませんし、今後この伊能栞という人物を彼が驚くべき演技力で掘り下げる様が見られるかもしれません。しかしこれまでのところ、この登場人物から政次に感じたようなマジカルな特別感は感じません。

 『あさが来た』で五代さんが登場したときは、最初から何かが違っていました。出た瞬間から何か素敵なことが起こりそうな「違いを生む」空気が流れていました。

 もちろん政次も最初からずっとマジカルだったわけではありません。ですから栞さんにはもう少し時間を与えるべきでしょう。しかし私がある時期から政次に感じ始めたマジックは、栞を見て「ああ演技がうまいな」と思うような理性的な反応とは次元を異にする、臓腑に直接訴えかけてくるような感覚でした。

 小野政次を演じたことは、おそらく高橋一生さんにとってこれまでで最高の業績の一つでしょう。ドラマ自体の視聴率が振るわないのであまり高々そうと言うことがはばかられるような空気がありますが、私はそれをきちんと書いておきたいと思います。

 高橋一生という役者が、長い助走期間を経て、心技体が一致したこの2016~2017年という時期にNHK大河ドラマで準主役級の役を与えられた。それは彼にテーラーメイドされたような、難しくも挑みがいのある複雑な役だった。この役に取り組むにあたって、彼は「能面」「言葉で語らず演技で語る」「役として生きる」などのことを自分に課して、驚くべき解釈力で脚本を読み込み、誰も予想しなかった独自の政次像を作り出した。その政次の真骨頂は直虎への思いを秘めながら直虎と対立するシーンで遺憾なく発揮され、二面性の表現の見事さ、すなわち氷のような冷たい態度で切り捨てながら、直虎を深く思いやる政次の苦悩の演技の豊かさで観客を魅了した。その瞬間は奇跡のようなマジカル・モーメントとして私たちのイマジネーションを捉えたのです。

 このようなマジックはそう頻繁に起こることではありません。一つのドラマで一度でも起こればそれは幸運なことです。私にとっては、『直虎』の前半でそれは確かに起こり、そのことはずっと覚えておきたいことなのです。

 

それでも一つだけやはり指摘しておきたいこと

 政次はやりがいのある複雑な役でした。しかしこのブログでも何度も指摘してきたように、恋愛面における整合性は、なつへの突然のプロポーズ、直虎の不可解なほどの無関心、槍ドンヘのプロット変更などの撹乱要素が重なって、少し後味の悪いものになってしまいました。

 私は折に触れて政次の「もしかしたら」を考えるのですが、最近強く思うのは、32話のなつへのプロポーズ、百歩譲ってこのシーンが起きたこと自体は受け入れるとしても、やはり唐突過ぎたのではないかということです。仮にも政次は準主役です。彼の直虎に対する思いは1話から積み重なってきたロングスパンのスレッドでした。視聴者も政次に感情移入して、彼の思いの成就をずっと応援してきたのです。

 『直虎』は他の登場人物の恋愛感情のビルドアップや前フリはわりあい丁寧に行ってきました。直虎→龍雲丸、龍雲丸→直虎、なつ→政次、しの→直親などは、前フリのせいで違和感なく理解することができました。しかしノベライズを読んでいなかった私にとって、政次のなつへの求婚は本当に唐突で、不可解な展開でした。政次が、いつ、どのような経緯でそのような気持ちを抱くに至ったのか、全く理解できませんでした。そして後からそれを何とか理解しようと過去回を振り返って考察したのがこのブログの出発点です。

 仮に他のことはすべて水に流すとしても、この件に関しては、このような展開にするなら何か少しでも前フリをしてほしかったと思います。観客が、何とか話の辻褄を解釈の次元で合わせようとオロオロするような展開は、理想的な作話とはいえないと思います。

 

 私にとっての『直虎』のマジカルなモーメントは、政次の退場によって終わりました。それがこのドラマの中で一度でも起こったこと自体が奇跡だと思いますし、それを目撃することができて、とても幸運でした。2017年の春から初夏にかけて感じたあのセンス・オブ・ワンダー、毎週日曜日が楽しみで心が浮き立つような感覚は、ずっと忘れたくありません。そして、少数派かもしれませんが、『おんな城主直虎』における高橋一生さんの小野政次役は、彼の最高傑作であり代表作であると声を大にして叫びたいと思います。