Aono's Quill Pen

青野の鑑賞記録 ~溢れる思いを、心ゆくまま~

『民衆の敵』と『直虎』に関する二題 ~男女バディ物とは、一貫性のある役柄

はじめに

   今週最終回を迎えたフジ月9の『民衆の敵』、最終回には高橋一生さん演じる藤堂の登場シーンが数多くありました。中でも父親との対峙と佐藤との二度の対決は最大の見せ場と言ってよいでしょう。表情筋を最大限に使って繊細に感情表現する高橋一生さんを見ながら、今年の初めに『直虎』での演技に引き込まれた感覚を思い出しました。しかし、似ているようで何かが違う。藤堂役の演技は上手いのだけれど、政次に感情移入したような感覚は少なくとも私には感じられませんでした。その違和感をきっかけに、『おんな城主直虎』と『民衆の敵』を比較しながら、藤堂・佐藤ペアと政次・直虎ペアの違い、そして高橋さんにとっての政次役について考えてみました。

 

民衆の敵』~真の男女バディがそこにある

    『民衆の敵』の藤堂は、その設定において政次に似ている登場人物です。主人公とはある種の緊張関係にありながら、女性のボスである主人公を補佐する役割を担い、二人で色々な難題に挑んでいくという展開は『直虎』の「城主編」を彷彿とさせます。そのせいか、藤堂と政次の類似性は当初から指摘されていました。

 私は『民衆の敵』における佐藤と藤堂のタッグのケミストリーがとても好きでした。お互いに敬意を払い、お互いを必要とし、なおかつ絶妙のコンビネーションでお互いの足りないところを補い合って、二人で1+1以上の力を発揮するコンビ。これこそまさに「バディ」ではないでしょうか。

 はてな・キーワードによるとバディものとは

 

バディ物【ばでぃもの】

対照的なキャラクター2人組が難題に立ち向かうといった展開をする話やドラマ・映画の総称(バディ=buddy)。1970年代の米国ドラマ「刑事スタスキー&ハッチ」や1991年の映画「テルマ&ルイーズ」、日本では「俺たちの勲章?」や「相棒」などがバディ物の代表例。

 

とあります。それは基本的には二人の人物の相性の良さややり取りの面白さでストーリーに説得力を持たせたり感情移入させたりするしかけのあるジャンルであると言えるでしょう。

 その中でも男女バディ物は特殊なジャンルであり、それらは大まかに言って

 

①男女の恋愛感情的な緊張感がある組み合わせ

②男女の恋愛感情的な緊張感がほとんどない組み合わせ

 

という二つのサブカテゴリに分けられます。前者には『キャッスル』などが、後者には『エレメンタリー』などがあげられるでしょう。

 このうち、①の男女バディ物は、バディ物であってバディ物ではない微妙な立ち位置にあります。恋愛の要素が強すぎるとバディ物として成立しません。絶妙のさじ加減で時折恋愛味を加えることで、同性のバディ物や純粋な恋愛物と一線を画し、緊張感を伴った独特の面白さを作り出しています。

 私は『民衆の敵』はこの①のタイプではなく、②のタイプの男女バディ物だと思います。佐藤と藤堂の間には恋愛感情的な情緒はほとんどありません。もちろん男女ですから緊張感が全くないわけではなく、時折藤堂が佐藤を守る姿に男女ならではの空気感が感じられて、それが面白みを増しています。しかしこの脚本はそこをあまり掘り下げませんでした。ですから画面から感じられる二人の男女としての緊張感は、高橋さんが抑えに抑えて、少しだけ風味を効かせる程度でしかありませんでした。

 そのようになった大きな理由は、佐藤が幸せな結婚をしており、藤堂にも思う人がいたからです。二人とも他に相手がいますから、恋愛関係に発展する要素は基本的にはありません。藤堂の方には少しはあったのかもしれませんが、彼は佐藤が家族を愛していることを知っていますから、その間に入り込むような余地はありえませんでした。

 この制限のおかげで、私たちは純粋に佐藤と藤堂の政治家同士としての共闘や対立を楽しむことができました。この二人は男女であって男女ではない、同性のバディ物に限りなく近い関係でした。その関係を私は安心して見ていることができました。全ての男女関係が恋愛関係である必要はありません。男女であっても仕事上の共闘関係やライバル関係が何よりも重要であってもよいでしょう。

 ひるがえって『直虎』はどうでしょうか。私たちは政次が直虎を女性として愛していることを知っています。後には上司としても敬意を表するようになりましたが、仮にも一方に恋愛感情があるかぎり、男女バディ物の分類において、この関係はセオリーに従えば①に分類されるはずです。

 しかし作者は直虎と政次の関係はどちらかといえば②であると主張しました。制作陣の考え方としては直虎と政次の間にあるのは恋愛感情ではなく、あくまで共闘する「男女を超えた」パートナーとしての絆でした。

 私はこの考えには最初から違和感を持ってきました。直虎と政次は恋愛ではないと書かれる度に、なにかしっくりと来ないものを感じていました。直虎と政次の関係は、『民衆の敵』の佐藤と藤堂のような、さっぱりとしたバディ関係だったと言えるのでしょうか。

 私は、直虎と政次の関係が②の関係だと片付けるには、政次の思いは重すぎたと思います。たとえ①の男女バディ物であっても、コンビ間の恋愛感情は、あくまで微妙なもので、時々合間に顔を出すスパイス程度のようなものでなければなりません。そうでなければ、それはたんなる恋愛物になってしまうでしょう。ですから直虎と政次の関係(というより政次の思い)は①としても男女バディ物の枠をはみ出すほどのものであったと思います。

 直虎と政次の関係は、それを男女バディ物であるとカテゴライズするのであれば、政次の思いの性質から言って、少なくとも①の路線で話を進めなければならなかったのではないかと思います。しかし直虎の方からは全く秋波が出ないので、彼らの関係は男女バディものでありながら、①でもなく②にも収まりきらないという少し特殊なものになってしまいました。公式の立場からすれば②なのでしょうけれど、②でありながら、バディの一方がもう一方にヘビーな片思いをしているというのは、そのキャラクターにとって「不憫」であるとしかいいようがありません。

 もちろん直虎と政次の関係はそれだけ独特なものだと主張することはできるでしょう。しかしその独特さの内実とは、要するに政次にとって不公平な関係であったということです。いっそのこと、直虎にも政次にも恋愛の相手は他にちゃんといて、二人は純粋に政敵として対立したり、時に共闘したりという緊張関係がある(そして佐藤と藤堂程度の男女感が時折感じられる)関係だったほうが、男女バディ物という枠組みのなかではむしろ安心して面白く見られたのかもしれません。ただしその展開を積極的に望んだかどうかはまたまた別の話ですが。

 

一貫性のある役柄を演じること

 高橋さんの演技は独特の魅力があり、それは『民衆の敵』や『わろてんか』でも楽しむことができます。しかし、twitterなどに見られる感想の多くは、それらの作品の役柄は「政次ほどの感情移入をして見ることができない」というものでした。

 『民衆の敵』の最終話における藤堂の父親や佐藤との対決のシーンは、高橋さんにとって演技上の見せ場だったと思います。もちろん彼はそれぞれのシーンを説得力を持って丁寧に演じていました。しかしそれでも『直虎』ほどの感動がない。それは演技のせいではなく、脚本や演出におけるキャラクター造形の問題だと思います。

 役者さんはどんな小さい役であっても、与えられた役を演出家の演出プランに沿って演じなければなりません。『民衆の敵』や『わろてんか』を見ると、役者や視聴者が納得できるような一貫性のあるキャラクターというのは案外少ないものだということをしみじみ感じます。たとえ主人公であっても、その人物の成長の軌跡に十分な必然性や説得力を感じることはそうそうありません。ましてや脇役となるとなおさらです。

 『わろてんか』では伊能さんの出演回数は限られており、たいては出演の度に前回の出演時とは違う境遇にあるため、人物像の掘り下げは難しいのではないかと思います。かといって『あさが来た』のディーン・フジオカのように女性主人公のナイト役という分かりやすい役割が振られている人物でもありません。

 『民衆の敵』でも、藤堂の出演場面はランダムで、全体としては藤堂が何をしたい人物かということは最後までよく分かりませんでした。彼の「本当の考え」も場面の積み重ねとしてではなく、長いセリフで説明されており、一貫した人物造形は難しいキャラクターではなかったかと思います。

 それに対して、政次は非常によく書き込まれたキャラクターでした。出演回数も多く、登場人物の多い大河ドラマにあって、彼がどのような性格の人物で、どのような成長曲線を描き、またある行動を何のためにとったのかということは、とても分かりやすく示されていました。しかも演技の要求が、「言葉にせずに思いを演じる」という難易度の高いものでした。これは役者にとっては大いにやりがいのあるものではないでしょうか。

    私が役者なら、藤堂や伊能といった役は、自分のなかで役の個別のストーリーの一貫性をはっきりと認識して確信をもって演じるのは難しいと感じると思います。もちろん役者さんはプロですから、たとえワンシーンであっても考え抜いてそこに全力投球するのでしょう。しかしキャラクター造形がしっかりと書き込まれた一貫性のある役柄であれば、そのやりがいは一層増すのではないでしょうか。

 政次役は高橋さんにとってもきっと本当にやりがいのある役だったことでしょう。しかし彼のポテンシャルを考えると、もっとやりがいがある役に挑戦してほしいとも思います。そのためには、①脚本が練られており(プロットが面白く)、②人物造形がしっかりしており、③主役で(いちばん人物造形がしっかりとなされているであろうから)、④繊細な人間ドラマである作品に出会って、それに出演していただいたいと思います。2018年は彼の新たな当たり役とも言えるような、そんな作品をぜひ見たいですね。