Aono's Quill Pen

青野の鑑賞記録 ~溢れる思いを、心ゆくまま~

パラレルワールドの政次

『直虎』その後

 『わろてんか』を見ていて、伊能栞がてんたちと同じ時空を共有しているようでしていない、独自の次元に存在する孤独な存在のように思えるようになってから、改めて政次とは何だったのかということを今更ながらに考えるようになりました。

 12月に『直虎』が終了してからというもの、私の中では『直虎』は自分のなかで整理がついた、というよりは整理がつかないままに心の中に押し込めた存在になっていました。どんなに望んでも政次と直虎が(私が望むような形で)心を通い合わせることは(公式の物語世界においては)永遠にないのだし、あまつさえ政次の思いは直虎を通り過ぎて思わぬ方向に迂回し、着地してしまいました。それについて改めて考えたり論じたりすることは、私にとっては苦痛以外の何ものでもないことだったのです。

 また政次を見た後では、高橋一生さんが演じるどんな役も、政次とは異なもの、政次には及ばないものに思えました。『わろてんか』の伊能栞も、設定や脚本における人物造形においても、物語の中で果たす役割においても、政次ほどの精緻さや重要性はないように感じられ、何か表面的な感じがしてそれほど興味を惹かれませんでした。

 

別の次元に存在する政次

 しかし今週の『わろてんか』を見ていて、そのような考えが少し変わってきました。栞の矜持を高橋さんがほぼ言葉のない仕草や表情だけで伝えようとする芝居を見て、やはり政次と栞には共通点があるのだ、高橋さんの芝居にはある種の特性や一貫性があるのだと感じずにはいられませんでした。

 そう感じた理由は、栞が醸し出す圧倒的な孤独感と、胸に多くのものを秘めながら決して言葉にしない(できない)様を映し出す表情豊かな瞳が、政次のそれと共通していたからです。栞が目の前の人と話しているようで、実は本当には考えや気持ちを共有していない様は、まるで同じ時や場所に存在しながら、実は別の次元に居て本当には触れ合えないゴーストと話をしているようでもありました。

 駿府から帰還したダーク政次は、まさにゴーストのような存在だったのではないでしょうか。直親が死ぬ前の政次は直虎への憧憬や直親への友情をわりあい素直に示す「リアル」な存在でした。しかし、仕方なないことだったとはいえ、直親を見殺しにしたという重すぎる原罪を背負った駿府からの帰還後の政次は、もはや素直に自分の考えや気持ちを表現することはできませんでした。「どうすれば今川と直虎を欺いて井伊と直虎を守れるか」「軍事・経済面の内憂外患をどう処理するか」ということを考え続け、深く深く内省的に籠もっていった結果、彼は直虎と同じ次元で物事を考えたり、ましてや情の部分で共感や交流をしたりということはできなくなっていました。周囲の人とは別の次元で考え、行動せざるをえない立場に自分を追い込んでいったのです。

 このような政次の状況と、高橋さんの内省的な芝居のアプローチが絶妙にマッチングしたのは本当に幸運なことでした。ほとんど台詞を言わずに政次の考えや内面を表現してしまう、あるいは表現せずに解釈の余地を残してしまう芝居によって、政次はどんどん孤独で孤高な存在になっていきました。おそらく制作陣が意図したことではまったくないと思いますが、直虎と政次が、相性は抜群なのにどこか噛み合っていない様子、そして直虎が政次を全く理解できない様子は、もしかしたらこの両者の存在する次元の違いに起因していたのかもしれません。駿府から帰還後の政次は、直虎と生身の人間として交情するという望みも、意欲もほとんどなかったのではないでしょうか。

 このように時と場所をヘビーに共有しながらも、実は別の次元に属していてお互い触れ合えない直虎と政次でしたが、相性のケミストリーだけは抜群でした。政次は『ブレードランナー』におけるサイボーグのような存在ですので、望みがないと分かってはいても、嫉妬もするし、愛する気持ちを止めることはできません。

 生身の人間同士として交情することができない彼が行き着いた結論が、究極の自己犠牲、すなわち愛する人のために自分の身体を差し出すということでした。双方向性の望みが絶たれている以上、愛を示す道は一方通行的にならざるをえなかったのです。

 直虎が怒っていたのは、この点ではないでしょうか。「そのようなことを頼んだ覚えはない」というのは、双方向性の可能性を最初から一方的に遮断した政次に対する怒りだったのでしょう。彼は勝手にパラレルワールドに彷徨いこみ、そこから出られないと決めつけ、命を断ってしまった。直虎にとっては政次が別の次元で存在しているという意識は薄かったかもしれませんが、おそらくは距離感や違和感を感じていたのでしょうから、彼に「本音で話せ」と語りかけたのです。それは彼女なりの(手遅れになる前に)「こちらの世界に戻っておいで」という呼びかけだったのではないでしょうか。

 

なつ問題再び

 「パラレルワールドの政次」が直虎ではなくなつを選んだのは、このような文脈で考えればある程度納得できます。なつは政次を追いかけて確信犯的に「あちらの世界」へ行った人です。本来ならば政次のパラレルワールドは、政次だけが存在する孤独な世界のはずでした。しかし本当の孤独に耐えられない政次は、なつという侵入者の存在を許し、なつもその政次の甘さに(語弊があるかもしれませんが)つけこんだのです。なつは『キャンディ・キャンディ』で言えばテリュースを追いかけるスザナのような存在です。政次のもとにいるためなら、世間体も気になりません。政次は(別のリアリティを生きる自分は)直虎との交情は考えられないが、自分を慕ってこちらの世界に飛び込んできたなつは自分と同じリアリティを生きる、手を伸ばせば触れることができる唯一の存在でした。

 考えれば考えるほど、駿府から帰還した政次と直虎にはもはや本当の意味でのチャンスはほとんどなかったように思われます。一つあったとすれば、それは32話の龍潭寺での邂逅でしょうか。あの時は、寺というアジールで現世の柵から逃れた二人が、しばし主従逆転のロールプレイをしながら、自分たちで作り上げた次元の壁を超える稀有な機会を手にしたかに見えました。しかし我々が皆よく知っているように、その機会は儚くも泡沫の夢のようにてからすり抜けていってしまったのです。

 

 高橋さんの芝居がもつ「他の登場人物とは別の現実を生きているような効果を生む力」から考え始めて、結果的には政次と直虎の関係の不可能性を再認識することになってしまいました。しかしこうして不可能性の質を細分化することができたことは、私にとっては未整理の課題の一部を片付ける機会になりました。