Aono's Quill Pen

青野の鑑賞記録 ~溢れる思いを、心ゆくまま~

『おんな城主直虎』32話「復活の火」②風穴を塞ぎにいく男、政次と直虎

 政次となつのシーンに先立つ直虎との邂逅。これはもう色々な解釈が成り立つ味わいの深いものでした。以下はその一つに過ぎません。

 直虎が政次に城主の座を譲ると言ったとき、政次はとても素直に、直虎の方にトップとしての資質があると返しました。政次にコンプレックスを持ってきた直虎にとって、師であり敵であり同志でもあった彼からの初めての認証と賞賛の言葉は、本当に嬉しいものだったでしょう。これまで政次が直虎に向けてきた表情は殆どの場合堅くて怖く、直虎はいつもその表情を恐る恐る伺ってきました。まるで厳しい恩師にお墨付きをもらったような喜びだったはずです。

 同時に聡い政次は城主を降りて一人の女性になったおとわについても一瞬思いをめぐらしたはずです。自由に、安全に生きてほしいと願った愛しい女性。自分が城主になればそれが叶うかもしれない。しかし政次も直虎も、井伊谷にその身を捧げて生きる人たちです。自分のことよりも公共の利益を考えます。公人としての政次が曇りのない目で見たとき、客観的に直虎の方にトップの資質があると認めるのは当然の成り行きでした。そして幼少時から自分が領主になりたいと密かに願ってきた直虎、「男子でもなく、子もなさず、無用の長物」と絶望してきた直虎にとって、その存在意義を具体的な賛辞とともに肯定することは政次にしか贈れない最良のギフトだったと思います。

 政次は自分の愛情とはどのように折り合いをつけたのでしょうか。私は以前に行った考察で、政虎の関係性について、「直虎の城主としての成長過程に必要な葛藤や相克、対立の相手として設定された政次と恋愛関係になることはできない」という趣旨の考えを述べました(https://twitter.com/i/moments/896247161112870912)。しかしこの考えが当てはまるのは、直虎が成長過程にあって、対立軸が必要な時だけでした。今川館が焼け、徳川の国衆として生きる展望が開けたいま、このすべての縛りがとけて、やっと二人がロマンティック・ラブも含めた唯一の相手になる可能性が見えたのです。未来がないとメタ的に分かっているという絶望的な条件のもとで、あえてすべての選択肢がありうるように思える一瞬の風穴を作者が意図的に開けたとも言えます。

 しかしその風穴は、閉じられることが前提の束の間の夢でした。脚本は残酷にも、そして若干の希望を交えて、政次によって閉じさせるように仕組むのです。

  脚本が巧みなのは、まず殿と家臣の仮想入れ替えのシーンで、この状況のぎこちなさや違和感が表現されたことです。主従の関係が自然になりすぎてしまい、それ以外の関係はもはやこの二人にはフィットしない。そういう客観的、外面的状況が示されました。

 内面的にはどうでしょうか。城主であれ、なかれ、今川の支配を抜ければ還俗はできます。結婚や恋愛の可能性は開かれ、しかも城主でなければその自由度は格段に高まるのです。しかし政次はその一瞬、玉砕覚悟でその万が一つの可能性にすべてを賭けようとはしませんでした。なぜでしょうか。

 一つは、ロマンティック・ラブのパートナーとして直虎が自分を選ぶことを想像することができなかったからだと思います。幼い頃からの自分を振り返らなかったおとわ、常に他人のために尽くし、亀との結婚すらあきらめたおとわ。11話で直親におとわとの婚姻を勧められ断った政次は「次郎様は望まれぬでしょう」と言いました。そしておそらくその時点でその観察は正しかったのだと思います。誰よりもよくおとわを見てきた政次には、おとわの望むもの、望まないものが本能的に察知できたのです。

 しかしおとわのモットーは「やってみなければ、分からぬではないか」です。人の気持ちは永遠ではありません。直親もあの時「分からぬぞ」と言いました。政次はあの一瞬、なつに言った言葉をおとわに言うべきでした。何も望まず、見返りを求めないとしても、心からの気持ちが人を動かすことはあります。おとわの心は石ではありません。鶴の心からの愛の告白に、心が動いた可能性はあったのではないかと思います。仮にその時に返戻がなかったとしても、言うこと自体に価値がある。好意の返戻作用は時間をおいて起こることもあります。もっというと、城主として認めることと、好意を伝えることは二者択一じゃない。両方言えばよかった。

 しかしあの時点では政次も直虎も、どちらかがすぐに死ぬということをリアルに想定してはいませんでした。二人は戦後の井伊谷での暮らしを想像し、楽しみにしていたのです。失敗した時の気まずさを考えると玉砕覚悟までして突撃をする動機が、政次にはなかった。

 そして公人としての但馬の判断により、後先考えず情に流された私人としての感情よりも、井伊谷全体を考えた発言が優先されました。あの「風穴」はドラマ上は不意に訪れた一瞬として劇的に描かれましたが、政次の頭のなかには戦後の直虎の還俗は想定済みのシナリオだったと思います。そして当然のように直虎を城主に据え直し、自分はそれを支えると考えていた。もしかしたら直虎と他家の婚姻も調略の一環として考えていたかもしれません。だから一瞬の誘惑に打ち勝って、正しいと思える返答をしたのです。

 私はノベライズは2巻までしか読んでいませんが、政次の直虎に対する感情の温度はドラマよりは低めに描かれています。ノベライズの政次はあらゆる感情表現が抑制された、もっと冷たい感じのする人物で、突然後先考えずに行動するような人物ではありません。しかしドラマの政次はずっと表情豊かです。高橋一生さんがあさイチで言っていた「突然感情が爆発する沸点のようなもの」が、ノベライズより強調して描かれます。あの不思議な空間、雰囲気のなかで、ドラマ政次ならば、言えたような気もします。

 なつのことが頭にあったから言わなかったのかどうかはよくわかりません。私に分かったのは「政次は素直に城主として直虎の方がふさわしいという客観的判断を伝え、それが直虎には何よりのプレゼントだった」ということと「愛情の返戻が当然ないものと思い込み、すでにそれを期待もしていなかったので、言ってもせんないこととして言わなかった」という二点だけです。

 ただし、基本的には、この邂逅に至るまでの長い年月をかけて、政次の直虎に対する気持ちのうちの恋愛の割合は緩やかに下がっていき、それと反比例してなつに対する思いは緩やかに上がってきていたのだと思います。

 前エントリの冒頭に胸熱だと書いたのは、たとえおとわの前では遠慮がちで、自分の気持ちを全部はさらけ出せない鶴のままだったとしても、おとわとの関わり方を自分で決め、おとわ以外の女性との未来を思い描くところまで鶴がたどり着いたからです。それは、悲しく、痛い成長だったけれど、おとわを守らなければならないという使命感や、求めても得られないものを求め続けるという呪縛から鶴丸が自由になった瞬間でもありました。今後彼は何らかの形で井伊谷かおとわのために命を捨てるのだろうけれど、この時点でなつを選ぶことを見せることで、彼は囚われていたのではなく、自由だった、守りたいから、選びたいから、そうしたのだ、ということを描く布石になるのかな、と漠然と感じています。またなつや家臣や不自然なほど雄弁だった政次が、直虎には全てのことは言えなかったということは、それは後から伝えられて、おそらく直虎を苦しめる要素となるのではないかと思います。

  さて、最後に視聴者の視点です。私はノベライズ未読だったので、なつへのプロポーズには心底驚きました。まさかそこまでするとは。政次と直虎がありえないと気がついた日から、それでも何とか最後だけでも、と期待してきました。しかしそのルートが32話時点では塞がれたように思われるうえに、傷口に塩を塗るように、なつさんというストッパーが現れました。

 正直に言うと、政次には恋愛や性愛を含めた直虎へのはちきれんばかりの愛をハイテンションで最後まで維持してもらいたかった。そして直虎には男として政次を受け入れる度量を示してもらいたかったです。

 だから、あの奇跡のような一瞬の風穴を開けてもらったのに、それを自ら塞ぎに行く政次が歯がゆく、もどかしい思いがしました。しかしその穴は神の視点で見る我々には二度と来ない機会だった分かっているのに、自分で折り合いをつけた未来のルートが見えている政次にはそれが分かりません。作者は「もしも」の可能性を我々にだけ見せて、それを政次自身に塞がせざるをえないような状況をも同時に示しました。少なくとも可能性は見せてくれたことに感謝しつつも、政次自身が塞ぐことを選んだという状況を我々につきつけ、それを飲むように迫ってきているように思えます。

 これについて、現時点での考えを述べておきます。

 第一に、亀と鶴に現世での別の配偶者を与えることで、三人の結びつきは井伊谷を介した精神的なものであると印象づけるというものです。私は亀が帰参したとたんに別の人と結婚した展開に唖然とし、「ヒーロー役とのロマンティック・ラブを禁じ手としたところから始まるこのドラマ、面白い」とtweetしました。しかもその禁じ手を機に「止まっていた運命が動き出した」というナレーションが入るのです。これはこのドラマにおいて結婚や婚約はゴールではなく、ましては幸福を保証するものでもないことを示しています。実際、直親としのの結婚は幸せなものとは言えず、直親と直虎との夫婦約束も二度に渡って破れ、政次となつの結婚も結局は実現はしません。このドラマで重視されているのは、結婚していない直虎と直親、直虎と政次の関係です。

 第二に、不憫とされていた政次に現世の相手をあてがうことで、政次の不遇感を軽減し、この先直虎が龍を含めた別の男に向かうことに対する視聴者の嫌悪感を減らそうとしたのかな、と思います。

 第三に、政次も生身の男だと意識させることで最後の悲劇感を煽る作りなのかもしれないと思います。だったら直虎との夫婦約束でもよかったような気がしますが、直親のときと違い、今生の別れとは思っていない状況で、突然夫婦約束まで話を持っていくのは強引です。それに私の考えでは物語の構成上恋愛の筋は龍に振ってあるので、それとも矛盾します。

  徐々に明らかになりつつある、政次にとっての直虎、井伊、井伊谷。33話予告で龍が「あの人にとって井伊なあんたのこと」と言っていた、あれが解答の一端かと思います。しかしこんなに自由を費やしても、まだ書き足らない、書いていないことが多いドラマ、視聴者の人生も狂わせていますね。