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青野の鑑賞記録

『おんな城主直虎』総括①~直虎の思想的成長から再整理する全体構成

はじめに

 『直虎』の総括するにあたり、まずは全体の構成について改めて考えてみたいと思います。このブログで私は『直虎』の構成に着目したエントリを何回か書いてきました。そのたびに、「これは未完成のパズルだから、全て終わった時に全体像を見てみたい」というような趣旨の中間まとめをしてきました。そして放映が終わった今、それが少し鮮明に見えてきたように思います。

 以前のエントリで私は『直虎』の構成は「三幕構成」に則っているのではないかと書きました。その考えは、基本的には今でも変わりません。しかしあれを書いたのは確か36話あたり、武田が攻めてくるようで攻めてこず、おとわは「逃げるが勝ち」とばかりに隠遁し、龍雲丸と子どもをもつだの堺に行くだのというような話も持ち上がり、正直これからどんな風に話が進んでいくのか不安になっていた時期でした。

 その後龍雲丸と決別し、井伊谷で影のフィクサーとして働き、万千代が活躍するようになってから、直虎の考えややりたいことがかなり明確になってきました。以前のエントリでは三幕を直虎の身分や属性で区切りましたが、今回はキャリアの内容や思想的な成長の面で区切っていきたいと思います。

 

『おんな城主直虎』三幕構成の内訳

第一幕 竜宮小僧期 (1-12話) 困っている身近な人を助ける

第二幕 城主期 (13-38話)

    前期 城主奮闘期 (13-31話)武家のルール」のもと戦わず民を潤す道を探る

ミッドポイント (31話)「虎松の首」政令の受け入れ

    後期 城主動揺期 (32-38話)武家のルール」への幻滅、家を捨て民を守る

第三幕 フィクサー(39-50話)武家のルール」から脱却、「奪わずに生きる」世を

 

政令施行延期~直虎唯一の史的業績

 直虎が第三幕でたどり着いた思想を一言で表すと「奪わずに生きる」ということではないかと思います。「奪わない」には「殺さない」も含まれますが、殺しは奪い合いの結果として起こることだとすれば、根本にあるのは「(暴力的な)奪い合いのない世」の創出という理念です。

 この思想をドラマの中の直虎は生涯かけて成熟させ、実行に移しました。しかし考えてみれば直虎は実在していた(であろう)とはいえ、その業績についてはほとんど知られていません。ましてや彼女がどのような思想を持っていたのかなどは、現時点では知る由もありません。ということは、ドラマの中の直虎の思想と行動は、作者が直虎に関する史料、彼女の当時の身分や立場、直政との関係、その後の直政の業績などから想像して膨らませたものです。またそれと同時に制作陣が現代社会の世相を反映しつつドラマのメッセージとして世に問いかけたいテーマでもあります。

 さて、それでは制作陣が創作の原点として参考にしたであろう直虎の業績とは何でしょうか。彼女に関する唯一の直筆の一次史料は31話「虎松の首」で彼女が書いた徳政令の施行に同意する花押入りの文書です。その文書から、彼女が城主となって以来数年間徳政令を引き伸ばしてきたことが伺えます。逆にいえば、直虎の知られている唯一の業績は、「徳政令の引き伸ばし」だけなのです。

 ですから彼女が城主となって初めて相対する問題が「徳政令」問題であったというのは非常に示唆的です。今回総集編を見て改めて気がついたことは、彼女の城主としての業績は政令に始まって徳政令に終わるということです。リアルタイムで見ていたときは、直虎についてネタバレを避けるために関連書籍などもあえて読んでいませんでした。ですから彼女のキャリアにおける徳政令の重要性をあまりよく認識していませんでした。しかし史料のことなども少し理解したうえで改めて総集編を見返すと、きちんと徳政令を最重要の課題として描いていることが理解できました。

 直虎が城主になったときに、甚兵衛を始めとする農民たちは井伊谷城を訪れて、徳政令の施行を願い出ます。民の窮状を聞いた直虎は、徳政令出すことを安請け合いします。私も徳政令の意味合いなどを深く理解していなかったので、リアルタイムで見ているときは直虎が民に同情して徳政令を出そうとすることに心情的には賛成したい気持ちでした。しかし直虎はそうことは簡単ではないことを学んでいきます。彼女は国衆と農民と銭主の関係、そして徳政令を受け入れれば井伊家が滅びることを知ります。それだけではなく、徳政令を受け入れることは長い目で見れば民にとってもデメリットが大きいことも理解します。私も視聴者として直虎の同じペースでこれらのことを学んでいきました。

 14話「徳政令の行方」で直虎は次のように述べます。 

「目先の話ばかりするな!確かに徳政令が出れば、今ある借金は消えてのうなる。じゃがその後はどうじゃ?人はおらぬし、何時凶作になるとも限らぬ。方久は欲深じゃ、借金を棒引きにはしてくれなんだ。なれど村を任せば、そなたらが潤い、自ずと借金が返せる仕組みを作ると言うてくれた。ならば、その方が良くはないか?」

ここには、すでに彼女の思想の基本的な姿勢が表れています。「借金をしなくてもよい仕組みづくり」、すなわち民を「潤す方法」を提示しているのです。

 私は36話の感想で、『直虎』の三幕構成のうち、中心となる第二幕のミッドポイントは27話「気賀を我が手に」における気賀城築城ではないかと書きました。確かに気賀城築城は、直虎が「戦わずに領地を手に入れた」のですから、彼女の「不戦」戦略の一応の勝利を示しているのでしょうし、また戦国城主としての一番の功績である「城取り」に成功したという点では、「武家のルール」に則ったうえでの最高の業績であると言うことができます。ミッドポイントにおいては通常、それまで主人公が苦労して行ってきたことが一定の評価を得るようなエピソードが描かれますので、そういう意味ではセオリー通りの配置であるといえるでしょう。おそらく物語構成の構造的な観点からは、やはり27話が一つの頂点であるといえると思います。実際に総集編もそのような編集になっていました。

 しかし『直虎』の恐ろしいところは、この「成功」が、その前提となっているルールを含めて直後に全否定されるところです。不戦は貫きながらも「武家のルール」に従って殖産興業しあまつさえ領地拡大や新城建築まで果たした直虎ですが、その「武家のルール」ゆえに政次の命を差し出すはめになり、気賀は虐殺の場となり、お家は取り潰しになります。意気消沈した直虎はお家再興さえ諦め、絶望の中で「武家のルール」を降りることを決意するのです。

 私は「奪わずに生きる」というその後の思想にもつながる、直虎が民を潤すために行った業績の真の成果の表れとは、むしろ30~31話で描かれた、百姓からの「徳政令は望まんに」という嘆願だったのではないかと思います。

 13話で直虎が城主になったとき、農民たちは徳政令を望む嘆願をしました。そしてそれを拒否するところから直虎のキャリアは始まります。直虎はその後農民たちを「教育」し、徳政令が決して上策ではないことを示しました。その後殖産興業(綿、林業)を行い、農民たち自身がが「産み出す」道を作ります。そうした地道な働きの成果が、農民からの「徳政令は望まない」という嘆願でした。すなわち農民たちは、自ら徳政令のデメリットを理解し、直虎のビジョンに共感したうえで、当初とは逆の嘆願をするまでに成長したのです。これは直虎の「人を育てる」という政策の成果であり、「徳政令施行延期」という彼女の知られている唯一の業績の成功の最高の証左ではなかったかと思います。

 

直虎の思想的成長から整理する各時期のまとめ

 それでは、「徳政令施行延期」がその最大の業績であるところの経済領主・直虎が、「奪わずに生きる世」を実現するというビジョンを形成していく過程として、物語全体を三幕4パートに分けて整理してみましょう。

第一幕 竜宮小僧期(1~12話)

 直虎は竜宮小僧としてそのキャリアをスタートさせました。第一幕では出家の身でしたから直接政治には関わりませんでしたが、彼女の、井伊谷の民のためにその人生を捧げる生き方はその時期に決定づけられました。ですから『おんな城主直虎』において最も重要な関係は直虎と井伊谷の民の関係だったと言うことができます。

 第一幕で、次郎たる直虎は民の暮らしに近いところでともに額に汗して働きました。そして彼らと個人レベルの交流を持ち、身近な人を助けることに生きがいを見出しました。しかしその当時は民が置かれた問題を構造的に捉える視点は持ち合わせていませんでした。

 

第二幕前半 城主奮闘期(13~31話)

 第二幕の前編で、彼女ははからずも城主になりました。そして民が置かれている苦境を城主の視点から理解します。しかし当時の彼女の構造把握は武家のルール」の枠内で行われたものでした。武家支配の正当性を当然のこととしたうえで、当時の井伊の戦力の状況を踏まえて「戦わない道」を選び、経済的苦境を脱する政策を行います。それは孫子の「敵を知り見方を知れば百戦危うからず」という教えを実践したものでした。

 しかしここで直虎に最初に武家のルール」を疑問視させるきっかけをつくった(と脚本が持っていきたかった)人物が登場します。龍雲丸です。彼との会話の中から直虎は武家が略奪者であるという見方を知ります。ただし、その時点での彼女の暫定的結論は、「武家は略奪者かも知れないが、自分は武家としてそれを認めたくない。あくまで武家として「潤す」方策を考える」というものでした。そしてそれが材木取引につながっていきます。

 その一方で、直虎は徳政令施行の延期を実現させます。考えてみれば、今川家からの徳政令施行の原因を作ったのは政次でした。当時は直虎を後見から下ろすため、政次が今川に進言したのがこの政策の始まりでした。直虎は徳政令施行の延期のために謀反を疑われ、それを晴らすために駿府に申開きに来るように要求されます。それが15話での寿桂尼との対決でした。

 ドラマではこの申開きが結局後見の正当性についてのものなのか、徳政令延期についてのことなのか、やや曖昧になっていたように思われます。なぜなら徳政令のことで呼び出されたのに、寿桂尼の最後の言葉は「井伊直虎、そなたに後見を許す」だったからです。しかし結果的には寿桂尼に後見を許されたことで徳政令の件も曖昧に処理され、その後その件は不問に付されました。ただし徳政令施行はねつけという黒歴史寿桂尼の中では消えることはなく、『死の帳面』にきちんと書き残されました。

 その後直虎の殖産興業政策は成功し、それが気賀城築城につながりました。しかしその一方で今川の凋落は明らかになり、井伊への徳政令施行強制も、井伊領直轄という意図のもと本格的に始動します。直虎が城主になりたての頃に今川が井伊を飛び越えて瀬戸・祝田村に与えた徳政令が施行され、それを直虎は受け入れます。それを拒否しようとしたのは、他ならぬもともと徳政令を望んだ瀬戸・祝田の農民でした。 

第二幕後半 城主動揺期(32~38話)

 第二幕の後半は、直虎が武家のルール」の範囲内で死力を尽くして井伊家と井伊谷の民を守ろうとして、半ば失敗する話です。すなわち、直虎は材木の件がもとになり近藤の恨みを買い、それがめぐりめぐって戦の最中に近藤の裏切りにあいます。その贖いとして政次の命を差し出してすんでのところで井伊家と民の命を守ります。しかし気賀城はそうはいきませんでした。徳川に制裁を加えられ、龍雲党のメンバーを含む多くの民が死にました。「半ば失敗」というのは、直虎は政次や気賀の民を失いましたが、井伊の民の命だけは(政次の犠牲によって)守り通したからです。そのための方策は「逃げる」ことでした。その「逃げる」には二つの意味がありました。一つは井伊谷から隠し里に逃げること、もう一つは「武家のルール」から逃げることです。

 逃げる過程で、直虎は武家のルール」を根本から疑う視点を持ったのだと思われます。「思われます」と書いたのは、私はこの過程の描写はあまりきちんと画面に表れていなかったと思うからです。この直虎の姿勢の転換は35話~38話あたりに起こったはずです。しかしこの間の直虎は、初期には政次の死と気賀の悲劇に見舞われて極度に自信を喪失し、「家があるから災いが起きる」とばかりに家の存在を否定し、城主を続けていく自信がないという理由で泣きながら城主を降りました。そして龍雲丸と一緒になり、政治から離れて一人の民として普通の暮らしをしばらく送りました。しかし武田が攻めてきたことから井伊谷の民を守ることに再び目覚め、龍雲丸と別れて井伊谷に残り「領主的な役割を果たす」ことを決意します。そして39話になった時点では、「家にこだわらずに土地の民が幸せに暮らしていくように計らう」というスタンスを確立しているように思われました。 

第三幕 フィクサー期(39~50話)

 第三幕では、彼女が「奪わずに生きる」という思想を井伊谷だけではなく日本中に広めていくという野心を持つ過程が描かれました。また彼女の殖産興業の方針もより持続可能エコロジカルな方向に発展しているようでした。第二幕前半の殖産興業や教育の振興が、産業化の黎明期の、日本で例えて言えば明治期の殖産興業政策のような性格を持っていたのに対し、第三幕のそれはポストモダニズムの趣すらありました。そのことが顕著に表れたのが、伐採の後の植林のエピソードでした。直虎と農民の絆もより深まり、特に甚兵衛とは直虎の政策の成功を象徴するような人間的な信頼関係を築きました。

 『直虎』の(現世の)最終ショットが農民のショットであったことは偶然ではないと思います。それは彼女の最重要政策が「徳政令施行延期」であったことの表れです。

 

構成の美しさ

 私は「徳政令施行延期」という史実が示す彼女の唯一の業績から、彼女が経済政策に力を入れていたであろうことを想像し、地理的な状況から綿産業、材木とのつながりを連想し、地政学的な状況から気賀との関係を想像し、龍雲丸というキャラクターを生み出し、さらに直虎に「奪わず生きる」という思想があったことを創造し、それを直政という媒体を通じて日本に広めようとしたと考えた作者の構想力は驚くべきものであると思います。もちろんこれまでこのブログでも指摘してきたように、細部に色々と指摘したことはあります。しかし今回総集編を見て、この「徳政令施行」という史料から想像を広げて、ここまで話のスケールを大きくする力量、それでも史料の業績に忠実に描こうとする姿勢、そして直虎の思想の成長を段階ごとに描いていく緻密な積み上げの力は賞賛に値するものであると改めて認識しました。

 私は『おんな城主直虎』を、主人公である直虎の人格的成長の物語であると考えてきました。しかしその成長の軌跡の内実は、実は最近になるまでそれほど明確には分かっていませんでした。しかし総集編まで見終わった今では、それを次のようにまとめることができます。

 

『おんな城主直虎』とは、経済領主として成功し、失敗した直虎が、武家のルール」を脱却して「奪わずに生きる」世を実現しようと奮闘する物語である。

 

もちろんこれは私の個人的な総括です。視聴者の数だけまとめの形があるでしょう。しかし少なくとも私の考えでは、『直虎』は全体としては主人公の成長を段階的に丁寧に示したビルドゥングスロマンとして十分に成功していると思います。

 

おわりに

 このエントリでは、直虎のキャリアや思想的の成長という点からみた物語の全体構成に着目してシリーズを総括してみました。もちろん構成の美しさと、細部の展開や個々のキャラクターについての評価はまた別次元のものです。ブログでも何度か指摘してきたように、直虎の性格、政次との関係、龍雲丸というキャラクターについては理解できない点が多々ありました。しかしそれらがあったからといって、この作品が果敢に挑戦した「歴史の空白を誠実に大胆に埋め、小さくて大きい物語を語る」という試みそのものを過小評価すべきではないでしょう。私は『直虎』の構成の美しさは、それ自体として賞賛する価値があると思います。

 

 

ps.(ここから先は独り言です。)

 

 

 再度話を戻しますが、だからといって直虎の人物造形に共感できるかどうかというのは、本当に別問題です。正直に言って、私はこのレベルでの共感を諦めたからこそ、あえて「構成の美しさ」に目を向けたのだと思います。総集編を見ていても、登場回数の少ない脇の人物ほど魅力的に描かれているように思いましたが、最も掘り下げるべき主人公は、鈍感で繊細さに欠けるように思えて、理解はできても共感はできませんでした。

 『直虎』を掘り下げて見るような視聴者層は、どちらかといえば物事を分析的に考える人が多いような気がします。ひょっとすると、そのような人と直虎の単純さや鈍感さは相容れない面があったのではないでしょうか。

 多くの人が語る、「すごい作品だとは思うが、疑問点も多い」という感想は本当にその通りです。ただし、2017年に、いやおそらく私の人生でも最も労力をつぎ込んで視聴したドラマですので、期待すればこその落胆もある、ということで、できるだけのことを言葉を尽くしてよいと思った点については書いておきたいと思います。