Aono's Quill Pen

青野の鑑賞記録 ~溢れる思いを、心ゆくまま~

『直虎』の成立過程から<なつ事件>の真相に迫る

 前回までのエントリでは<なつ事件>について、ドラマの筋に沿って人物の心情の変化の読み解こうとしました。

 今回は脚本や製作の過程が伺える幾つかの資料をもとに、なぜこのようなことが起こったかを推理してみたいと思います。

 私はノベは2巻まで、公式ガイドブックは前後編とも持っていますが、読んだのは前編だけです。資料は主として公式ガイドブック前編の脚本家とプロデューサーのインタビュー、ほぼ日ウェブサイトの情報など、公開されているものです。ガイド後編やノベ3巻は読んでいないという限界があることを最初にお断りしておきます。

 一般にテレビドラマは、脚本家とプロデューサーで話し合いながら大まかな筋を決めていくとされています。題材や企画意図はプロデューサーが提示し、それを受けた脚本家がまずプロットを考え、その後セリフやト書きとして具体化していきます。

 『おんな城主直虎』の製作過程について岡本Pは、「森下さんはまず一気に50本分のプロットを書き終えた」と語っています。すなわち非常に早い段階でおおまかな展開は決まっていたのです。このことから脚本家は大河という一つの長い物語に明確な構造をもたせることを意識していたことが分かります。早い段階での全体の見通しがあるから、セリフやト書き執筆の段階で伏線の超ロングパスなどを入れ込むことができるのですね。

 この物語の主題は、城主直虎という人間の成長。すなわち中世日本でリーダーとして生きた一人の女性のビルドゥングスロマンです。そしてクライマックスは4つ設定されました。直虎が城主になる時(12話)、城主としてある業績を達成する時(今から考えると気賀城築城、すなわち27話)、武田に焼き払われる時(おそらく35~37話あたり)、そして伊賀越えであるとされています。

 それと同じくらい早く決まったのが、直虎をめぐる4人の男だったと思われます。初恋の人直親、幼馴染で、敵で、後に同志となる政次、直虎に違う世界を見せる男龍雲丸、そして直政。各人が4つのそれぞれの時期を直虎と密に関わる展開が企画されたことでしょう。

 この4人について、私は以前のtweetで「煎じ詰めれば主人公の成長過程に異なった影響を与えるために構造的に配置された、記号的な存在」であると書きました。決してこの4人に血が通っていないということではなく、先述したような物語の構成からみて、彼らは直虎という主人公の成長過程のそれぞれの段階に必要な栄養分を与えるような存在であり、その配置は自ら戦略的なものであらざるをえないという意味です。

 その中で政次の役割は、敵として、同志として、直虎の城主としての成長を刺激し促すことです。恋愛の筋は直親と龍に振られていて、政次にも少しはありますが、それが彼のメイン・ファンクションではありません。

 さて、本題のなつについて考えます。なつという登場人物は、この構造的に組み上げられたドラマにおいて、本来補助的役割をもつ人物です。少なくとも50本のプロットが構想された段階では、政次となつが夫婦約束をするということまでは決められていなかったのではないかと推測します。

 森下さんはインタビューで「脚本を書いているうちに、この人がこの人を好きにならなかったらおかしいよね、という気づきがあるので、それは書いている過程でどんどん反映させていきたい」という趣旨の発言をしています(出先で、手元に資料がないので逐語ではありません)。私はずっとこの「気づき」はなつのことを指していると思っていました。だからなつが政次を熱く見つめるシーンがあったり、25話で抱きついたりしたとき、「このへんに入れてきたのね」と思っていました。

 しかしそのときは、まさか政次がなつにプロポーズするとまでは予測していませんでした。それで改めて考えてみて、「この人がこの人を好きにならなければおかしい」というのは、もしかすると政次がなつを、ということだったのかもしれないと思い当たりました。あるいは全く他の人のことを指していたのかもしれません。

 ここではひとまず、「なつが政次を」という仮定で話を進めます。先述したようになつは物語中で補助的な機能をもった人物です。その機能とは11話までは玄蕃の名代として井伊家と小野家の架け橋になることです。そして15話以降は、なつ自身としては政次を支えることがでしたが、それと同時に物語の構成上は亥之助を小野家に戻すということが重要だったと思います。亥之助は小野の男子として育たなければなりません。政次の薫陶をうけ、その意思を引き継いで直政の家臣として表舞台を歩く。そのためには亥之助が新野の館で育つわけにはいきません。

 この設定が決まった時点で、作者はなつの最終的な処遇に困ったはずです。11話までは単に実家に戻らずにいたというだけでしたが、15話では外面的にはさしたる必要性もないのに小野家にわざわざ転居したのです。当時の感覚でも好奇の目にさらされたことでしょう。そして小野家が敵ではなくなった瞬間になつ自身の役割は終わります。

 その時点で政次になつを追い出させることはできたでしょうか。選択肢は2つありました。一つは政次がその時点でもまだ身も心も直虎に囚われていたことにして、なつの思いを拒絶させ、何とか世間体を損ねない処遇を考えさせる、そしてもう一つはなつと結婚させることです。

 残念ながら制作陣は後者を選びました。もともと政次には一般的な意味での恋愛の筋は振られてないはずでした。しかし鶴の片思い設定をずっと引っ張り、直親や龍と三角関係的な緊張感を出すことで、このドラマの恋愛面での見どころを作りました。その結果、鶴は少年期の初恋をずっと引きずっていい大人になり、ついに死に際まで来てしまいました。そこで制作陣はもしかしたら渡りに船と、なつを利用して鶴をおとわから半分だけでも卒業させようとしたのかもしれません。半分とは、恋愛的な意味で両思いになることを永遠に放棄することです。そのゴールはなつと結婚までしなくても、他の手段である程度は達成できたかもしれません。直虎に拒否されるという展開でもよかったでしょう。しかしあえてそのルート選んだのです。

 それはもしかしたら「下手」ではなかったかと現時点では思います。多くの視聴者がネガティブな反応を示しました。この反応は放映直前にはある程度は予測されていたと思いますが、かなり前倒しで進められていたという製作過程では予想できなかった要素もあったのではないでしょうか。

 その一つは政次を演じる高橋一生さんの人気とその演技です。高橋さんのキャスティングは早い段階で決まっていて、当然『カルテット』のはるか以前でした。森下さんはインタビューで、『民王』が好きで、中でも高橋さん演じる貝原のキャラクターを気に入っていると述べています。森下さんがイメージした政次は、貝原のような無表情で感情の起伏に乏しい人物だったのではないでしょうか。

 しかし予想に反して、高橋さんは政次を情感たっぷりに演じました。11話までは直親よりも共感を呼び、12話以降もおとわへの愛が全身から漏れ出すような演技で、ドラマの視聴者のコア層の気持ちを掴みました。その結果多くの視聴者が政次と直虎の関係に胸をときめかせ、何かが起こることを期待しました。

 もう一つの誤算は、龍雲丸との恋愛話に思ったほどの関心が集まらなかったことです。インタビューを読んでいると、プロデューサーと脚本家が龍雲丸に大きな期待をかけていたことが分かります。岡本Pは政次のことは「切っても切れない因縁の相手」とさらりと表現しているのに、森下さんは「龍雲丸とは感情的にごちゃごちゃしてほしい」と述べています。おそらくプレ・プロダクションの段階では柳楽さんにもっと女性の関心が集まり、龍と虎の恋の行方を気にする人が増えると予測していたのではないでしょうか。しかし現実的には龍メインの回は視聴率が低迷を続け、批評も芳しいものではありませんでした。そして視聴者は相変わらず政次と直虎の恋愛を期待し続けたのです。

 ここで制作陣の考えについて2つの疑問が浮かびます。一つは本当に龍と虎の恋愛に関心が集中し、政次と直虎に対する期待が薄れると思っていたのか、もう一つは、仮に龍と虎に恋愛の焦点が移っていたとしても、政次となつの唐突な結婚話に視聴者が納得すると思っていたか、ということです。

 もし2つについて「そうだ」と考えていたとすると、かなり甘い展望だったと言わざるをえません。今回の政次となつの婚約は、1話から鶴と鶴の思いに感情移入し、32話までずっと鶴とわを応援してきた多くの視聴者にとっては、容易に受け入れられるものではありませんでした。「それを狙った」と言われても、仮に色々な理屈をつけて頭では理解したとしても、気持ちの面で納得できるものではありません。そして本来感動を生むべく編み出される「物語」において、感情的なリアクションはとても大切なものです。そして制作者は、主たるターゲットとなる視聴者の知性を信頼しなければなりません。どんなに鬼畜な展開でもそこにきちんとした筋が通っていれば視聴者は受け入れるでしょう。しかし1話から丁寧に描いてきた優しく賢い鶴に「好きな人はいるけど、お前も離したくない」というようなプロポーズをさせてはいけません。それは「人生思い通りにいかないもの」という一般論とはまた別の話です。

 そろそろまとめに入ります。政次がなつにプロポーズする設定は、脚本家が50本のプロットを書き終えたはるか後、15話以降のセリフやト書きを書く中で徐々に生まれていったものではないかと思います。なつはサブキャラながら多くの役割が盛られた設定で、役割を演じるうちにその存在の重要性がどんどん大きくなっていき、とうとうその処遇に困った、そして制作者が選んだ結論があの展開なのではないか、ということです。

 もちろんこの考えは全て間違っているかもしれません。単なる一つの仮説、しかも32話時点での途中経過ということでご笑覧ください。