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青野の鑑賞記録

『おんな城主直虎』32話 ③駿河・遠州侵攻を描く省略とディテールの美学

『直虎』のテーマと、直虎が描く未来

  「政虎なつ」の衝撃が大きすぎて、その他のことがすべてふっとんでしまった感のある32話でしたが、実は大河ドラマらしく大文字の歴史がようやく動き出した回でもありました。いや、その書き方には語弊があります。これまでも「歴史的事件」(戦国時代であれば例えば合戦)は起こり続けていたのですが、それが本作のテーマ(と私が考える)「リーダーとして生きた中世日本の一女性の人格的成長」と直接関わる事象ではなかったので、前景化されてこなかっただけです。

 前回合戦が描かれたのは桶狭間の戦いの際でした。あのときも「桶狭間が開始数分で終わってしまった」と話題になりましたが、それは直虎の成長物語に関わる事件は直盛と家臣団の死であり、義元がどのように死んだかは重要なことではなかったからです。このドラマのこうした思い切った焦点の合わせ方は、もう少し評価されてもよい点だと思います。個人の視点から出発し、人々の営みがより合わさった糸で編むタペストリーのように丁寧に歴史像を作り上げていく、そのディテールへのこだわりこそが、このドラマの面白さの一つです。

 しかし『直虎』は民衆史ではありません。小規模ではあっても為政者の立場にある人物が、自分の理想とする社会をどう作り上げようと奮闘するか、その過程を楽しむドラマです。これまでも為政者のドラマは数多くありました。その中で『直虎』のユニークさとはどのようなものでしょうか。これについて脚本家は「トップに立つ人はピュアなところがないといけない」と語っています。直虎は女性で禅僧です。政治や戦争を行うことを期待もされなければ、訓練も受けていません。性格は猪突猛進で直情径行、心には竜宮小僧が住んでいます。すなわち脚本家が想定するユニークな為政者像とは「戦国時代の主流の政治に対する先入観がなく、純粋な心で、人々が殺し合わない、奪い合わない世を作ろうと猪突猛進するリーダー」なのです。

 思えば龍雲丸と直虎の会話には、そのような脚本家の自問自答が多く反映されています。例えば21話の「追い詰められれば人は奪う」「奪い合わない世の中を作る」という寺の庭での会話です。最初に聞いた時は、文脈に似合わないほど観念的で大きな話をするな、と思ったのですが、これは直虎の、というより脚本家が直虎を通じて発したい、最大のメッセージなのだと思います。龍との会話は未来を向いています。直虎は龍に触発されてそのような未来を具体的にイメージすることができました。

 それでは政次はどうでしょうか。政次は「戦国の流儀」に通じた人物です。直虎は政次からトップに立つものの責任や策の立て方を学びます。しかし彼には直虎にはない「政治や戦の教養や訓練」がありますから、逆に直虎のように先入観なしに未来像を組み立てることはできません。したがって、前述のような「あるべき未来」について政次と語り合うことはできないのです。そこに龍のオリジナル・キャラクターとしての役割の独自性があります。やはり龍は政次のあとにくるべき役割を背負わされた人なのでしょう。

 

32話の歴史的背景とストーリーテリングのうまさ ~省略とディテール~

  前置きが長くなりましたが、ようやく32話についてです。「政虎なつ」については散々語ったので、ここではもう語りません。彼ら三人のパートは数分の出来事で、それ以外にも様々な動きがありました。そしてそれらは、直虎のリーダーとしての成長物語に直接関わるエピソードだと制作者が考えたため、時間を割いて描かれたものなのです。その展開についてはきちんと理解しておく必要があるでしょう。

 今回の主たる歴史的事件は、武田による駿河侵攻と、それに呼応した徳川の遠州侵攻です。この部分について考えるには、私は時系列を整理しておく必要があると感じました。これまでの展開はこうです。

 

1560年 桶狭間の戦いで直盛、今川義元死す(9話)

1562年 直親死す(11話)

1565年 直虎城主となる(12話)

1566年 徳政令をはねつける(15話)

1568年11月19日 徳政令を受け入れる(31話)

     12月12日 家康が井伊谷三人衆に領土の安堵状を渡す(32話)

     12月13日 徳川の遠州侵攻開始、武田軍今川館を焼く(32話)

            井伊谷三人衆来訪、近藤が政次を罠にかける(32話)

 

 31話で描かれた「虎松の首」事件は1568年の11月下旬頃のことだと想定されます。そして32話では1568年の11月下旬から12月初旬の20日間前後の事柄が描かれます。そしてハイライトは12月13日におかれています。この日は、武田軍が今川館を焼くという井伊家の悲願が成就した日でありながら、政次が近藤に罠にはめられ、悲劇が始まる運命の日となりました。この12月13日に照準を合わせて、希望の光が見えてきた時にさらに深い谷に突き落とされるという展開を「直虎と政次の個人的関係」と「井伊家をめぐる政治的状況」のパラレルで見せる構成は見事なものです。

 32話、まるで普通の戦記物の大河を見ているような既視感もありましたが、よく見れば単なる戦の説明に陥らず、要領よく史実を説明しつつも、本筋を「政次の業」が跳ね返る過程と、直虎が密約で命脈を保とうと奮闘する過程に保つように様々な工夫がこらされています。それらの工夫は、まさにこのドラマの白眉の一つである「省略の美学」「ディテールへのこだわり」によって表現されています。私が気がついたシーンをいくつかをあげてみます。

 第一に、武田軍による<薩埵峠の戦い~今川館襲撃>のプランを、信玄が地図に朱筆を入れることだけでその残酷さまで含めて表現しきったシーンです。今川氏真は当初薩埵峠で武田を迎え撃つ予定でしたが、相次ぐ離反によりそれが実現せず、とうとう館を襲撃されて駿府を追われます。この一シーンによって信玄の意図が明らか示されたお陰で、今川家臣の離反、関口の描写、氏真の絶望、逃走場面などもっと重要なシーンに尺をとることができました。

 第二に、冒頭で家康が遠州侵攻のプランを練る際に、地図に碁石を並べて説明するシーンです。井伊などすでに味方である勢力は黒い碁石を、堀江や浜名など沿岸の今川勢力には白い碁石を配置し、これから調略しようとする気賀は井伊方であるため黒い碁石を配置しています。<今川=白>、<徳川=黒>なのですね。政次の羽織からこぼれ落ちた白い碁石、ここにも何か関係があるのでしょうか。

 第三に、前述のシーンで徳川方が気賀について言及していることです。気賀の調略がうまくいかないため、陸ルートである井伊谷を通じて気賀方面に南下するというプランが家康の口から語られます。気賀とは堀川城のこと、堀川城ではこのあと政次も関わるであろうある事件がおきますが、まず井伊谷制圧があって、次に気賀(堀川)が来るのだ、という順番がさり気なく示され、それに向けての布石がここで打たれています。

 第四に、細かいことですが個人的にツボだったのは、この徳川の地図には引間が大きく書かれて、そこにのみ朱囲みがしてあることです。セリフでは何も語られませんが、引間城は浜松城のこと、新野左馬之助や中野直由が氏真に命じられて戦をしかけて戦死した因縁の相手であると同時に、家康の次の本拠地ともなる重要な城です。通常のドラマならばここで何か一言言わせたいところでしょう。そこをあえて何もいわない姿勢、潔いです。

 最後に、信玄が家康の書状で鼻をかむシーンです。「調略に手間取る輩など…」というセリフのインパクトが強すぎましたが、その前段で「望みの日までに掛川に入るのは難しいと書いてよこしおった」と、家康がなかなか掛川に入れない様子もさらりと入れています。掛川の攻防は今川氏真も関わる今後の重要事項のはずですが、これもくどくど説明せず、でも言及はしておく。制作者からの「抜かりはないですぞ」というメッセージのようです。

 このようなディテールの差し込みによる省略法の多用で、本話は駿河侵攻と遠州侵攻のエッセンスを示しながら、井伊谷が置かれた政治的状況を説明し、直虎と政次がその流れにどのように飲み込まれているのかを示しました。そして重要なことは、ここでも本筋と関係ない合戦シーンは一切描かれないのです。矢が飛んだのは、政次が罠にはめられたシーンのみでした。

 

政次、「必要悪」の正負の遺産

  このような歴史のうねりを背景に、政次が必要悪として演じてきた二面性の正負の遺産がブーメランのように跳ね返る過程が描かれました。それについてはすでにtweetしたので全ては繰り返しませんが、正の遺産はもちろん二面性を演じることで保たれてきた井伊家の命脈そのものでしょう。ようやく今川の支配から抜けるという希望の光が見えるところまでどうにか持ちこたえてきたのです。さらに政次がそれを宣言することで、小野家家臣団も自らの存在意義を正当化することができました。政次が一段高いプラットフォームに立って語る様はまさに演説風景、あのシーンはどこか演劇的な香りのする構成美に溢れた見どころでした。

 負の遺産は疑念と禍根の蓄積。政次自身がかつて「味方から裏切られるのは恐ろしい」と語った、そのままのことが彼自身に降りかかります。彼を疑うのは直之、近藤、瀬名、そして家康です。瀬名と家康の冒頭のシーン、「政次が誤解される」とハラハラした視聴者は多かったのではないでしょうか。そのあと直虎から書状が届き、誤解がとけて一安心したものの、最後の最後で近藤がさしはさんだ疑念に家康の心が揺れます。そこに瀬名の「小野は奸臣」という言葉がインクの染みのように広がり、視聴者の心も恐怖で震え上がります。小野が演じた悪役は必要悪ではあったが、決して代償なくやれるものではなかった。意図がどうであれ、「信用ならない人物」を演じたことのつけは払わなければならないのです。それは因果応報という砂に足を絡め取られてずるずると渦に引きずり降ろされるような恐ろしい感覚です。鶴はどのようにそのつけを払わされるのか、それを見ろというのなら仕方ない、見るしかないではありませんか。

 最後に「今川館が焼け落ちる」という表現の回収について述べます。駿府の館を攻め落としたのは馬場信春という人物のようですが、武田信玄は今川の館を焼けとまでは命令しなかったようです。城は資産ですから、よほどの理由がない限り焼き尽くすというのは理にかないません。しかしこの馬場という人はあえて今川館と駿府の町を焼き払ったとされています。今考えると、この史実から遡って「今川館が焼け落ちる」という表現を最初から何度も入れてきたのかな、と思えます。実際に「焼け落ちる」という異常事態がありえてしまったこと、でもそれは思い描いたような理想の展開ではなかった。なかなかに苦い伏線回収でした。

 

 まとめます。『直虎』に描かれる「歴史的事件」は、主人公の成長という本筋に密接に絡むもののみ、というのが私の仮説です。それに沿って、制作者が示してくれた「描かれたこと」と「描かれなかったこと」を読み取ることで、できればメッセージを正しく受け取りたい、そして33話に向けて心を整えていきたいと思います。