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青野の鑑賞記録

『おんな城主直虎』34話~政次とイエス②二つの破壊とその予言~

【今後の史実に言及します。ご注意を】

  

34話の『聖書』アナロジー

 34話感想は一つにまとめるはずでしたが、「政次とイエス」シリーズで思いついたことがあったので、備忘録的にまとめておきます。

 「政次の死はイエスの死のアナロジーで語られる」というのが私のこのブログにおける中心仮説の一つです。31~33話が「受難」だとすれば、34話以降には「復活」編が来るはずですが、それはまだ先のことのようです。しかし死の直後の34話に後日譚のアナロジーがまったくないのも何か変だと思っていました。

 そこで思いついたのが、今回の話の特に気賀のパートはイエスの死の直後(復活の前)に起こる、ある「破壊」のアナロジーなのではないかということです。その「破壊」は来るべきもっと大きな本当の「破壊」序曲のような事件でした。

 『直虎』において、第三期の最大の山場は武田軍による井伊谷焼き尽くしです。そこからの復活と、政次の「復活」には何らかの関わりがあると考えてよいのではないでしょうか。もちろん「復活」というのは体の蘇りではなく、魂の蘇りのことです。

 武田軍の侵略がその大きな破壊(『聖書』ではその部分は実際には描かれませんが)だとすると、予兆としてのその「破壊」こそが気賀での虐殺に相当するように思われます。

 

第一の破壊 ~気賀~

 それではまず、イエスが自分の死後の世界についてどのようなことを予言したか整理してみましょう。ここでは『マタイによる福音書』を参照します。

 イエスエルサレム入城後、ユダヤ教の神殿で、その建物の崩壊を予言します。

エスが神殿の境内を出て行かれると、弟子たちが近寄って来て、イエスに神殿の建物を指さした。そこで、イエスは言われた。「これらすべての物を見ないのか。はっきり言っておく。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。(マタイ24)

そして十字架の上で息を引き取った直後、次のようなことが起こります。

エスは再び大声で叫び、息を引き取られた。そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。(マタイ27)

 イエスの死後、地震が起こり、予言にあった神殿の破壊が部分的に行われます。「眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った」のくだりは、35話で展開されるであろう、瀕死の龍雲丸が生き返る様子に重なっていくような気がします。

    しかしこのことはあくまで迫りくる本当の破壊の前触れでしかありません。

 

第二の破壊「大きな苦難」~武田侵略~

 この「本当の破壊」について、イエスは生前次のように予言しています。

預言者ダニエルの言った憎むべき破壊者が、聖なる場所に立つのを見たら――読者は悟れ――、そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。(中略)そのときには、世界の初めから今までなく、今後も決してないほどの大きな苦難が来るからである。神がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない。しかし、神は選ばれた人たちのために、その期間を縮めてくださるであろう。(マタイ24)

 「憎むべき破壊者」とは武田信玄、「山」とは隠し里に相当するのではないでしょうか。武田が攻めてきて、かつてないほどの略奪と虐殺が起きるが、希望を失うな、そこに「人の子」が来て、ユダヤ(=井伊谷)は蘇る、というメッセージです。

 ここで示唆的なのは「神は選ばれた人たちのために、その期間を縮めてくださるであろう」というくだりです。

 ドラマがどのような展開になるかは予想できませんが、史実では武田は1572年秋に井伊谷を攻め、井伊谷城を奪います。しかし1573年4月に信玄が病に倒れて撤退したため、井伊は再び井伊谷城を取り戻したとされています。この信玄の病による「時間切れ」で一命を取り留めるあたり、「期間を縮める」という予言にぴたりとあてはまるの気がします。

 これからの展開を勝手に予測すると

 34話 政次(=イエス)の死の直後、復活前、神殿の破壊(=気賀)

 35話~ 死者の蘇り→政次(=イエス)の魂の復活

 ~38話くらいまで 武田の侵攻=予言された「大きな苦難」→人の子の到来

  というふうに話が進んでいくのではないかと思います(完全な妄想ですので、そうならなかったらすみません)。政次がいつどのような形で「復活」するのか、今からとても楽しみです。